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(DIARY) 2017年2月~

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■大晦日です。お詫びしなければならないこと二つ。
  
 
●6月「はまなすカフェ」での大失態
 昨年から今年にかけて、多くの皆さまのご尽力で、津波で失われた間垣・釜谷・長面・尾崎の再現模型が完成しました。詳しくは実行委員会のfaicebook(こちら)をご覧ください。
 お詫びしなければならないのはこれに関連したことで、オリオンも何かご協力ができないかと参加させていただいたのですが、迷惑ばかりおかけしたのが実際でした。
 お詫びしなければならい一つは、管理人たちの大川中同期会が6月に松島であった翌日、長面の「はまなすカフェ」で昼食をいただいたのですが、この際に私が大失態を犯し、釜谷の阿部さんご夫妻、中島さんに謝罪もできず、自責の念に駆られて今日まで至っていることです。(これについてはいずれ稿を改めてお詫びしたいと思っております)
 
 
●「つぶやき集」の遅延について
 もう一つは、オリオンを通じてご寄付をいただいた方々にお届けを約束していた「つぶやき集」の遅延です。
 再現模型の制作に参加された方々の、地域についての思い出などを『ふるさとの記憶~模型プロジェクトつぶやき集』として制作されることになっており、ご寄付をいただいた方には完成次第お送りすることになっていました。今年の夏、あるいは秋には完成予定だったのですがまだできていません。遅くなってすみませんが、もうしばらくお待ちください。
 ワークショップで収録された“つぶやき”の内容は管理人も読んでおり、現地・大川に住んでいた者にとっては、「そうだったなあ」とか「へえ、そうなのか」と思えることがたくさんあり、郷愁のあふれた生き生きとした追想集になっていました。2、3例を挙げてみますと
「ケッコラハマできれいな貝がたくさんとれた」
「暗くなると学校帰りのお墓の前はちょっと怖かった」
「松原に個人が作ったお寺があった」
「釜谷の三角地帯(中州のこと)の葦は早い者勝ちで刈り取ることができた」

 
 ケッコラハマとは何か、私は知りませんでしたが、尾の崎の近藤さんによると名越海岸と福浦の間の福浦寄りに、長さ数十メートルの大小さまざまな貝殻で形成された浜があったそうで、沖から見ると、夏場でも雪が積もっているようなが感じの白さで、何とも言えない見事な景観だったということです。福浦方面へ海藻やたき木とりに行った帰りなどよくその浜に寄りタバコの一服などし、気に入った貝殻を土産にしたりしたそうです。
 しかし福浦漁港に通じる海岸廻りの道路造成のため、ケッコラハマも地中に埋没する運命となったそうです。ケッコラハマの名の由来は貝たちがたくさんいたので「貝っコたちの浜」という意味の名だろうと近藤さんは推測していますが、それにしてもケッコラハマという響きはきれいで幻想的ですね。
 釜谷の墓地も長面の墓地も通学路に面していたので皆さん思いは同じだったと思います。管理人はある雨の夜、長面の墓地で人魂がボッと光るのを見たことがあります。当時は土葬もあったので、そこから発生するリンが光るのだそうです。
 松原の東光園がお寺だったというつぶやきが複数ありました。事実は違いますが特に修正はしませんでした。主の本画家である夢郷さんはアトリエを浄土のような庭園にしたかったようですから、あながち間違いではないかもしれません。このようなことから伝説というのは生まれるのでしょうか。
 釜谷の三角地帯というのは、当時を知るTSさんやHT君によると、追波川の三角州のことで葦の細い茎をたくさん刈り取って、海苔を乾燥させる簀(ス)に編んで販売したそうです。

 世代世代のこんな思い出がいっぱい詰まった「つぶやき集」ですが、11月に「明日までに初稿を送ります」という編集の方のメールを最後に連絡が途絶え、今日に至っています。
 この編集には主に若い方たちが携わっており、デジタル編集というものについていけない私が、ピント外れのことを言うので、呆れ果てられて連絡が途絶えたものと思っていました。ところが最近の中島さんのお便りによれば、理由はそればかりではないらしく、再度日程の確認をしていただいています。
 夏以降ずっと申し訳が立たずに気がかりでしたが、年を越してしまいます。すみません。もうしばらくお待ちください。なお、この冊子の発行費用はお預かりしている寄付金で賄われるそうです。
 今年は長いお休みを頂くなど、勝手なことばかりですみませんでしたが、来年もよろしくお願いいたします。
 どうぞよいお年を!      (12/31) 
 

■故郷の便りうれしく

●間垣のヒトボさんの漁

 間垣のヒトボさんに「慰霊碑の概要をアップさせていただきました」と連絡したところ次の楽しい返信がありました。
 「28日に返信しようと思っていましたが、早朝(?)7時半に従妹の武山憲治さんから、網揚げに行くけど」とのお誘いがあり、即行くとの返事をしたのはいいものの網の絡まりとゴミで(決して漁の多さではなく)夕方迄かかり、こんな時間になりました。ちなみに50㎝の肌鰈(5000円相当)40~46㎝の真子ガレイ(2000円相当)×4枚、ワタリガニ10匹、スクモガニ15匹くらいが今日の収穫でした」
 網の漁は魚外しなど後始末がたいへんなようですね。それにしても50㎝のカレイやワタリガニなど、豪華でうれしいですね。

●近藤さんから焼きハゼ番組のこと
 「歌手の佐藤宗之さんがメインで司会している、宮城テレビで夕方から放送されている長壽番組『オ~バンデス』で、26日長面の焼きハゼの特番があり、20分近く放映されました、私より1級下で尾の埼より長面に入り婿した榊正吾君夫妻です、放送中の画面に随所、詩情豊かな長面浦の風景が出てきましたが、放送最後のテロップに資料参考は「オリオンの311」からという文字が目に入り、たまげました、見る人はみているんだなあとなんだか嬉しくなった次第であります」
というお便りがありました。最後のクレジットまで見ていただきありがとうございました。
 そういえば以前、テレビ番組制作会社の荒木さんという方から
 「ミヤギテレビ「OH!バンデス」という番組で長面の焼きハゼについて取材しております。そこで、昔に盛んだった長面でのハゼ漁のお写真や長面浦の昔の風景のお写真を探しております」
という問い合わせがありました。あいにくカンツカの持ち合わせがないことを伝えると、オリオン内の何点かを使わせてほしいと連絡がありました。使用されたのが白黒写真だとすると、管理人が40年以上も前に撮ったものと、同級生の長面・小野寺紀幸君提供のものだと思います。
 私が心身ともに落ち込んでいた時で、どんな番組でいつ放送されるのかなど何も聞いていなかったので、近藤さんのお便りでようやくわかりました。ありがとうございます。
 末尾ですが近藤さんの川柳です
    白鵬も八百屋で長芋買ってたか
   公営住宅嬉しさよりも家賃の算段


●玄関に鹿が
 また、 福地のYHちゃんからは、ご夫妻手作りの心のこもったお餅ほかがたくさん届き、
 「鹿が玄関にいるのよ! 野菜は全滅でした」ということでした。     (12/29)

■石巻市二子(ふたご)の新しい長面・尾の崎

 暮れも押し詰まり、来年の夢を語る時期になったためでしょうか、少し明るい石巻市二子の公営住宅の話題を、今日はお二方から伺うことができました。
 長面の同級生で神楽師のTT君(愛称・タコちゃん、通称・タコ大工さん)と久々に電話で話をしました。今年は松島の同期会で会っただけで、管理人の心身不調からまったくご無沙汰していたのですか、久々の電話の声は思いのほか明るく元気でした。
 震災後初めて会った同級生がタコちゃんでした。震災2か月後の5月、長面入り口で茫然と立ち尽くしていると、「あんだ誰?」と声をかけてくれたのがタコちゃん。本職は大工さんで建てたばかりの立派な家は流され、当時、牡蠣の養殖もしていた関係で、長面浦のガレキ処理を漁師の皆さんとしていたのでした。
 それはさておき、今日の電話では復興住宅への転居が来年7月になった由。「今度は泊まれっから、ございん」と明るい声でした。7年もの仮設生活で身体的にも精神的にもたいへんだったと思いますが、これを契機に元気にその日を迎えてくれることを祈ります。

 午後になって、尾の崎の近藤孝悦さん(KKさん)から大川のその後の動向がいっぱい詰まった分厚い封書が届きました。お便りにはいつもの達筆の名文で
 「オリオンの再開およろこびです。実を言えばなんかそんな予感がして、この頃日に何回かオリオンを開いていたんです。体に負担のかからない程度にのんびりとやってください」」というありがたいお言葉があり、ご自分の体調については得意の川柳、
   老いの坂バリアフリーはついてません
とありました。
 今年10月末に二子復興住宅に移ったそうで、場所は道の駅の前、梨木閘門のすぐそばだそうで、隣りが管理人の同級生TK君(尾ノ崎・故人)の奥さん、そのとなりが「のんびり村」後ろがTSさんのお姉さん(尾の崎・藤村商店)とありました。

 「二子地区は当初、公営、自己再建あわせて400戸ぐらいで計画したのですが。現在はなんやかやで340戸ぐらいのものです。最終入居完了は来年9月の予定です。第一期工事区内の私らがいちばん早い入居で、少し前から二期工事が始まりにぎわっています」とあり、
 長面の龍谷院、管理人の同級生FSさん、NT君、AHさんの実家も二期工事の中に入っているようです。そのほか、近くにおられる釜谷観音寺の谷口さんテケちゃん弟さんの近況なども知らせていただきました。
 
 「しばらく前、長面の八雲神社の近くにある工事現場で作業員たちが、熊を3頭見たそうです。鹿の出現は尾ノ崎・長面ではもう慣れっこになって珍しくないそうです。

 我が家は近藤さんちにずいぶんお世話なったとともに、オリオン発足のときから数々のご協力をいただきました。震災の年にタコちゃんと出会ったときも、漁師の一団の中におられて、話をした覚えがあります。タコちゃんが神楽師であることも近藤さんに教えていただいたことでした。今後ともよろしくお願いいたします。参考までにタコちゃんが神楽の太鼓を叩くときにうなっている見事な音声がこちらにあります。関心がありましたら、ぜひ。   (12/27)
 

■10月、間垣の慰霊碑が完成しました
 11月下旬、間垣のヒトボさんから間垣慰霊碑完成のお知らせがありました。
「第13回間垣慰霊碑建設実行委員会報告書」(事務局・遠藤仁雄さん)によると、10月1日に念願の間垣慰霊碑が出来上がり、約80名の方々の出席のもと、記念の式典が行われました。
 津波の甚大な被害を受けた大川地区の4集落のうち、間垣地区の慰霊碑だけが建立場所の問題などで遅れていましたが、遠藤さんはじめ地元の皆さま、出身者の皆さまの6年間の尽力で完成したものです。
 当日の写真と河北新報、読売新聞の記事も同封されていましたので、ご覧ください。

   
 

 「実行委員会」の活動はこれで終わったわけではなく、

①慰霊碑ができた公園は人家がないので、電気水道などのインフラがないので、夜にも慰霊碑が分かるようにソーラーライトを設置する。
②年2回の慰霊および周辺の清掃、除草作業
・3月と10月の第1日曜日
③会員各位への報告書の発行
・上記清掃活動を中心に大川、間垣地区の出来事等を今後も発行していく(4月と11月ごろ)。
などなど、これからも皆さんの意見、要望、提案を踏まえながら活動が続けられるそうです。

 事務局の“まがき”遠藤さん、ほんとうにご苦労さまです。その遠藤さんの近況も届きました。
 「小学校の脇にジオラマの仮展示施設が出来そのカギ管理を受け持つ5人の中の一人になりまして、開場や説明等で今後少しは忙しくなるやもしれません。
 また来年の4月には十三浜の月浜に川のビジターセンターなるものが出来上がることになっておりまして少し興味を持っているところです。
 釣りは予約が入ったときに合わせて行っていますが寒さで少しおっくうになり始めているところです。今年も富士川のワカサギが遡上しないので冬場の釣りの種類が減って困っています」とのことでした。
 故郷・大川のカナメとしてますます忙しくなりそうですが、どうぞ体にお気をつけて。   (12/26)

■励ましのお便りありがとうございます

 早速に「祝・オリオン再開」のお便りをたくさんいただきました。“たくさん”というほどでもないのですが、発足当初からの方や、その後親しく情報交換ができるようになった方々からの「体に気をつけて無理をしないように」というあたたかい励ましに感謝、感謝です。
 休止中の11月に豆腐屋の息子さん(仙台)から
「昨日、大川地区の模型の展示があり、行ってきました。テレビ局が来ていたのでゆっくり見られませんでした」というお便りがあり、東北放送、NHK、仙台放送、河北新報の映像や記事についてお知らせがありました。
 先ほどチェックしてみると、東北放送とNHKはリンク切れでしたが、仙台放送、河北新報の記事は今も読めますので、ご覧ください。
仙台放送 http://ox-tv.jp/nc/p/search_list.aspx?t=share&d=20171119&no=10
河北新報 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201711/20171120_13019.html

 もう少しお知らせしたいこと(間垣の慰霊碑など)もあったのですが、久々の更新で手順を忘れたりして、手間取りました。また近々、お知らせさせてください。   (12/25)

■遅くなりましたが、オリオンの更新を再開させいただきます。

 先日、敬愛する長面の先輩AIさんが「コタツにもぐりこんでばかりいたためか盲腸を悪化させました」というユーモア交じりのお便りを妹さんのFSさんからいただきました。その中に
  「オリオンのホームページを時々覗いていますが、7月で絶筆にされたのでしょうか。
  大川地区の半年間の動きがまったくわからなくなり、復興状況がどうなのか気になって仕方ありません。
  箇条書きで結構ですから、何か情報がありましたら載せていただきたく、無理を承知でお願いいたします」
とありました。

 大川の情報といってもオリオンでお知らせできるのはほんの一部のことですが、それでもそういう役割があったのかと気付かされました。
 実は昨年4月の脳梗塞以来、あちこち異常だったのですが、今年は6月末から、ひどい腰痛と全身の痛みに襲われて顔を洗うこともパソコンの前に坐ることもできず、8月末まで何もできない日々でした。9月から少し良くなって、畑や庭の膝上まで伸びた草を刈ったりして、11月に東京へ帰りました。ところが半年ぶりのベランダ掃除中に、ちょっと重いものを持ったらまた腰がキューと再発。
 近所の整形医は痛み止めの注射ばかりをバンバン打つので、12月からは医者と薬をやめて、軽い筋トレ療法に切り替え、なんとか動けるようになりました。
 オリオンには個人的なことは書くまいと思っていたのですが、勝手に長期間のお休みをいただい言い訳をさせていただきました。お許しください。

 先のFSさんのお便りに「箇条書きでも」とありましたので、その時返信には思いつくまま、以下のことをお知らせしました。

①ご協力いただいて完成した模型の仮展示場が大川小の近くに完成したそうです。
・実行委員会のfacebookhttps://www.facebook.com/ookawakioku/などご覧ください。地元紙の記事によるとなぜか展示されたのは間垣と釜谷だけのようです。
・ご寄付をいただいた方へお約束した「つぶやき集」ですが、11月19日の上記・仮展示場お披露目に合わせて完成予定ということでしたが、直前に連絡が途絶えて現在の様子がわかりません。すみません、もう少しお待ちください。
②お米3町歩、大豆5町歩を作っていた針岡の佐藤君から「米は順調に収穫できたが、豆は台風などの長雨で全滅」だったという話がありました。100町歩近い耕作をしている㈱リスタも同様のようです。
③間垣の慰霊碑が10月1日に完成したそうです(詳報はまた後程)。
④災害復興住宅への移転がまず尾の崎の方々から始まっているようです。

 するとFSさんから次の激励をいただきました。
「半年もオリオンに音沙汰なしでしたから、きっと認知症が進み、メールも読めないほどの体調かと危惧しておりました。なんのなんの、これで安心しました。身体のどこかが痛む人は絶対ボケません」
 とご自身の周辺の事例などをお知らせいただき、
「箇条書き、ありがとうございます。これだけ載せるだけでも読者の皆さんは喜ばれることと思います。管理人さんにとって完璧でなくても、読者の想像力にお任せください。未完成で結構です。箇条書きの何倍ものシーンが想像できます」
 
 旧知の人の社交辞令と分かっていても、たいへんありがたい激励でした。ありがとうございます。皆さまのご期待に添えるかどうか自信はないのですが、あれこれ気になっていることもありますので、もうしばらくオリオンを続けさせていただこうと思います。長らくの休載をお詫びしますとともに、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。  (12/22)

■本日をもってオリオンの更新を中止させていただきます
 他人からみればタダの笑い話なのでしょうが、最近の管理人はつまらないミスを重ねて困ってばかりいます。
 今日も、模型復元のお知らせページを修正し、TOP頁にそれを入れようとしたところ、目次頁の主要項目がすべて消えてしまい、なんとか修復するのに丸一日かかってしまいました。
 あちこちに思いつくまま補足情報を入れていたために、行方不明になった情報もいろいろあると思うのですが、それがなかなか思い出せません。それと立っても坐っても腰痛がひどく、思うようにパソコンの前に坐っていられません。加えてHPのソフトが思うように動いてくれず、なんだかこのところ疲れがたまってしまいました。
 オリオンを始めてから、7月でまる6年が経ちました。このまま続けてもロクなことにならないと思いますので、誠に勝手ですがオリオンの更新はこの辺で中止させていただきたく思います。長い間、温かいご支援とご協力をありがとうございました。心からお礼申し上げます。
 オリオンの閉鎖も考えましたが、しばらくはこのまま放置いたしますので、何かの折にはのぞいてみてください。また楽しいニュースなどがありましたらぜひお知らせください。メールは生きていますし、管理人自身も2、3気になっていることもありますので、思い出したような更新があるかもしれません。
 勝手なことばかりで本当に申し訳ありません。ありがとうございました。       (7/31)
 

■お盆の模型展のチラシが届きました
 下↓にも記しましたが、お盆の期間(8月10日(木)16日(水))、ビッグバンの3階に昨年度制作された、記憶の街、

   

間垣・釜谷・長面・尾の崎の全模型が展示されるとのことで、そのチラシが届きました。
 期間中は制作時に手伝っていただいた学生さんたちが再び常駐し、模型の修正や想い出の旗の追加など、バージョンアップもされるそうです。
 また、16日の午前10時からは民謡歌手の佐々木律子さんの歌で「大川音頭をみんなで踊ろう」というイベントもあるそうです。ぜひぜひ顔を出してみてください。大川音頭の振り付けや佐々木さんの唄をもう一度確認したいという方がいらっしゃいます。どなたかワンコーラスでいいので動画を撮っていただくとありがたいです(オリオンからのお願い)。   (7/29)

■ぜひご覧ください
●NHK8/6(日)朝6時15分~6時50分、模型の展示や大川の伝承などについて放映があります
 昨年度「記憶の街」として間垣・釜谷・長面・尾ノ崎の復元模型がつくられましたが、制作の様子や展示などと共に大川の伝承などを盛り込んだNHKのドキュメンタリーが8月6日の朝に放映されます。
 タイトルは「目撃!にっぽん」というNHKのヒューマンドキュメンタリーで、時間は6日朝の6時15分~6時50分です。6月19日の“はまなすカフェ”の昼食で、NHKクルーの撮影がありましたが、そのカットもチラとはあるかもしれません。早い時間帯ですが、ビデオに撮るなどして最近の大川をぜひご覧ください。

●8/10(木)~8/16(水)、ビッグバン3Fで4集落の模型がすべて展示されます
 お盆に帰省した方やご家族連れにも見ていただければと、8月10日~16日、ビッグバン3階のスペースに釜谷・間垣・長面・尾崎の4集落の模型が一堂に並べられるそうです。詳しくは大川地区「記憶の街」模型復元プロジェクトのfacebookをご覧ください。(こちら)
  日程 8月10日(木)~16日(水)
   10~12日にミニ・ワークショップ
   16日午前10時~イベント「大川音頭をみんなで踊ろう」
        終了後に交流会
  場所 河北総合センター(ビッグバン)3階ホール
                         (7/22)

■同級会報告&「はまなすカフェ」での写真
 下の記事の大失敗のように、血の巡りの悪くなった私は、それでも18日はなんとか持ちこたえて「喜寿の祝い」に参加。男性13名、女性16名の懐かしい面々との再会でした。やはり女性の方が丈夫で長持ちしているようですね。
 東京方面からはNО君が仕事の都合、KK君とFTちゃん、KОちゃんが体調不良でやむなく欠席、残念でしたが無理をして何かあっても困りますから、致し方ないことでした。
●ムっちゃんの励まし
 尾の崎・木村家の御曹司で小さいころはよく一緒に遊んだムっちゃんが出席していて、久々にに話し込んだ。以前から顔が腫れ上がって大変そうという風の便りは聞いていたが、頬というか顎の骨肉腫で何度か手術や抗がん剤投与を繰り返したそうで、現在は肺にも転移しているようだという。
 しかし、その堂々とした態度や語り口は昔のムっちゃんそのもので、お孫さん二人を津波で亡くしてから奥さまの調子が良くなく、ディーサービスを利用しているので、「これから迎えに行って、夕飯をかせねげねんだ」とホテルには泊まらず、自分で車を運転して飯野川の自宅へ帰った。
 彼は尾ノ崎でスカーフの縫製業をしていたので、私が長年探している「幅10センチほどのスカーフはどこに行ったらあるだろうと」と聞いたら、翌日早朝、「みんなで好きなの選んで持ってけよ」と大きな紙袋いっぱいのスカーフをホテルの部屋までわざわざ持ってきてくれた。
 私も念願の細いスカーフを一枚もらったが、さっそく幹事さんに各部屋に届けててもらった。川崎のSUちゃんは「私ももらっちゃったけど、ただで頂いていいのかしら」と電話があった。
 「オレも頑張っているから、みんなも頑張れよ」というムっちゃんのメッセージだろうから、ありがたくいただておこう」と話しました。
 ムっちゃん、ありがとう! せっかくの好男子の顔がずいぶん破壊されていたけど、貴君の勇気と意欲に心底励まされました。なにかと弱音を吐きたくなるこの頃だけど、僕も頑張らなくちゃね。
●奥さまの献身
 あとから二次会の席などで聞いたのだけど、久々に出席されたNAちゃんとYNちゃんは、お二人とも最近、ご主人が施設に入られたので、ようやく出席できたとのこと。それまで何十年もご主人の介護を続けられたそうですが、温和な笑みをたたえているお二人を見ると、奥様方の献身に頭が下がりました。


●「はまなすカフェ」での写真が届きました
 下の記事の件で嫌な思いをさせてしまったはずの中島みゆきさん(㈳長面浦海人理事)から、中島さん撮影の写真を送っていただきました。少し心が軽くなってオリオンにも手をつけ始めたわけです。
 私も簡単なデジカメは持って行ったのですが、今回は宴席も二次会も、カフェでもほとんどシャッターを押すことなくボーッとしていました。以下、中島さん撮影の写真を並べさせていただきます。
 顔の写真を出してプライバシーの心配もありますが、NHKのテレビの撮影もあったので、たぶん皆さんもご異存ははないと思って掲載いたします。中島さんに感謝!

「はまなすカフェ」での昼食 すべて中島みゆきさんの撮影です
 
 
 
 
 
 

 
 
 

  ①=カフェ入り口の模型展示と食卓
  ②=自宅を食い入るように見るTT君
  ③=カフェのすぐ側にあった生家を語るSK君(右)
  ④~⑥今朝獲れた長面の味を味わう
  ⑦=長面浦の風を味わいつつ
  ⑧=一行の記念撮影
  ⑨=カフェのスタッフ、現地の皆さんの見送りを受けて
  

 NHKの放映は8月上旬だそうです。タイトルや時間がはっきりしましたらまたお知らせいたします。
 皆さま、ありがとうございました。            (6/30)

 昨夜書き忘れましたが「模型復元プロジェクト」のfacebookに「はまなすカフェ」の19日の様子があります。今後もいろいろニュースがあるはずなので、ぜひご覧ください。19日もいろいろあったようで、午前中には栃木の災害ボランティア「頑張り隊」の皆さんが訪れて、私たちが食べたカニの網外しなどをされたそうです。ご馳走さまでした。
 そのほか各種の市との打ち合わせもあったそうで、8月の模型店の場所や期日、模型展示の仮設的建物の設置場所の検討も行われたようです。       (7/1)

■喜寿の会、私の大失態。皆さまにお詫びいたします
 6/18(日)、大川中喜寿の会の同期会が松島で行われ、参加30名のうち23名が翌19日(月)、長面の「はまなすカフェ」に展示された復元模型を見ながら、昼食をいただいてきました。このカフェでの昼食と模型の見学は今回の同期会のフィナーレ飾るイベントで、地元の方々のたくさんのご協力で実現し、NHKテレビの取材も入るという賑やかなものになるはずでした。ところが、私のまったく愚かな大失態でまったく申しわけないことになってしまいました。

はまなすカフェで
 
模型を前に自宅付近を説明する長面
のKS君
 
右端が中島さんと阿部さんの奥さま


 当日は、失われた街の模型復元に当初から尽力されていた ㈳長面浦海人理事の中島みゆきさん、釜谷区長の阿部良介さんご夫妻にも来ていただいて、「はまなすカフェ」の成り立ちや「模型復元」の経緯をお二方から昼食をいただきながら少しお話をしていただく予定でした。
 まず私の第一の失態は、このことを幹事諸氏に伝えていなかったこと。私の中では昼食時に一言お願いすればいいだろうと簡単に考えていたのが間違いでした。

 中島さん、阿部さんにはずいぶん前から同級会のときに一部でもいいから、寄付もいただいた同級生諸氏に見てもらいたいから、なんとかできないだろうかと相談していたことで、特に阿部さんには模型ピースの困難な運搬と展示を前日から二日かけて実現していただいたのでした。運べるのは4ピースぐらいかなと思っていたのですが、長面と釜谷の中心部がよくわかるようにと、6ピースを運搬・設営していただいたそうです。ありがとうございます。カフェで見る模型は制作時よりも一段ときれいに見えました。
 またはまなすカフェの皆さんには、営業日はない月曜日に特別の昼食を準備していただいた次第でした。

 これらのことは阿部さん、中島さんにちょっとご挨拶がてらお話しいただければ、もっとわかりやすく同級生諸氏にも伝わったはずなのに、何かに興奮していたのか、私はまったくお二人のご挨拶のことを忘れていて、気が付いたのは帰りの新幹線の中でした。
 もうどうにも取り返しようがなく、以来、自責の念というか、後悔というか、自分の情けなさに自信喪失の欝々した日を過ごしてきました。どうも最近、目先の自分の事しか眼中になく、大切なことを忘れることが多くなりました。私もそろそろ限界なのでしょう。皆さま、ほんとうにすみませんでした。そしてありがとうございました。

 同級会のそのほかのことについては、いまはちょっと心が平静ではないので、いずれそのうちに記したいと思います。とりあえずはお詫びまで、   (6/24)

■古里への深い愛~鈴木さんの絵馬の思いが「石巻日日新聞」に~
 3月の模型復元WSに岩槻から駆けつけた鈴木惟司さんは、以前gallery(こちら)でも紹介させていただいた(※絵馬はこのページの下の方にあります)故郷の神楽「橋引き」の一場面を寄せ木細工で描いた絵馬ほかを車に積んでいらっしゃいましたが、その絵馬の制作動機などの詳しい話が『石巻日日新聞』に大きく載っていました。
 『石巻日日』の話は尾ノ崎の近藤さんからも聞いていましたが、このたび鈴木さんから切り抜きが送られてきたのでご紹介します。右の写真をクリックしますと大きくなるのでたぶん読めると思います。なかなか良い記事で、郷土愛あふれた鈴木さんの思いが伝わってきます。
 鈴木さんには「失われた街の模型復元」にも積極的なご協力をいただいており、このたびのお便りにも新しく3件のご寄付があったとのことでした。鈴木さん、そしてご寄付いただいた友人知人の皆さま、ありがとうございます。

●故郷の便りいろいろ
 故郷では田植えも終わって一段落の様子です。針岡のSK君は今年はお米が3町歩、大豆が8町歩とか言ってましたが、すごい量ですね。長面耕土も手掛けているリスタ大川(代表・大槻幹夫さん)は多分お米が100町歩ぐらいになるのではないかとの話でした。機械化とはいえ、昔の農耕とはだいぶ違いますね。

 管理人は借りている長野の畑に花豆を30粒、青バツ(青大豆?)を3ウネ播くのが精いっぱい。数日前、鎌と植木ばさみを研いで立ち上がったらギックリ腰に。情けない話ですが、18、19日の同期会にはなんとか参加したいので昔のコルセットを引っ張り出して使っています。
 年を取るといろいろあるもので、ずいぶん前から参加を楽しみにしていた針岡のFTちゃん、KK君が新幹線の駅が不安ということで欠席、長面のNО君は4月に工場が火災で焼けて、目下鋭意再建中ということで欠席になりました。NО君は今は社長を息子さんに譲って自身は会長職にあるのですが、自分で立ち上げた会社なのでもうひと踏ん張りというところでしょう。あまり無理をしないよう同級生一同、願っています。

 復元模型の展示は8月のお盆あたりに、たぶんビッグバンを会場に予定されているようですが、これとは別に、模型展示については再来年度の恒久施設までの間の仮設的建物が検討されているようです。  (6/11)

■元気な子供たちがこんなにたくさん居たんだ~
 平成2(1990)年3月24日、大川中学の新校舎の落成を祝う式典がありました。この式典の一部始終を記録したDVD『河北町立大川中学校新校舎落成記念式典会』が針岡の佐藤孝一君から届きました。ビデオをコピーして佐藤さんに届けてくれたのは、式典の司進行係だった入釜谷の高橋竹也さんです。

アトラクションの部から
 
大川小児童も含めた
 
「お囃子クラブ」の演奏
 
大川中ブラスバンドの演奏
 
「民謡民舞同好会」の舞台

 全部で2時間20分ほどある長編ですが、佐藤君も「懐かしい顔や名前がたくさん出てくるよ~」と言うし、27年前の記録でプライバシー侵害の恐れも少ないと思いますので、ノーカットで全編を見られるよう〈前編〉〈中編〉〈後編〉に分けてyoutubeにUPしました。
 27年前のビデオであるのと、youtubeへのUPためにファイル変換をしているので画質は良くありませんが、27年前の活気にあふれた大川中学校をぜひご覧ください。特に感じたのは「元気な子供たちがこんなにたくさん居たんだな~」ということでした。

〈前編〉60分(こちら)
 1、校歌
 2、記念碑序幕
 3.記念式典 ①在校生校歌
         ②大川中伊藤和夫校長挨拶ほか
         ③『大川中学校賛歌』の公募と選考に関する表彰など
         ④各種表彰、感謝状授与。
〈中編〉60分(こちら)
         ④-2各種表彰、感謝状授与つづき。
 4、祝辞 河北町町長・太田実氏 教育長・千葉和音氏。
 5、『大川中賛歌』披露 ①在校生の歌詞朗読
                ②在校生の斉唱
 6、アトラクション(〈中編〉の25分ごろから収録されています)
                ①大川小児童も含めた「お囃子クラブ」の演奏
                ②大川中吹奏楽部演奏「校歌」「賛歌」ほか
                ③民謡民舞同好会「さんさしぐれ」ほか

〈後編〉23分(こちら)
                ③アトラクション 民謡民舞のつづき
                                        以上。

 この平成2(1990)年に新築された大川中学校は、町村合併により平成17(2005)年石巻市立大川中学校に改称、東日本大震災(平成23(2011)年)による生徒数の減少などを理由に平成25(2013)年に廃校となり、校舎も平成25(2013)年の夏には解体されて大川中学校は完全に姿を消したのでした。
 一部の人は「なぜあんなに素早く解体したのか。残しておけば各種展示場や集会所、倉庫などに利用できたのではないか」と言っています。
 例えば今年3月に出来上がった喪失集落の復元模型は、その展示場所や保管場所が大きな課題になっていますが、そういうことの利用に最適だったのではないでしょうか。   (5/24)

■永沼夢郷さんの『高砂』と河北町立大川中学校校舎落成記念式典
 いや別に永沼夢郷さんの絵と大川中学の新校舎が関係あるわけではあません。
 ゴールデンウィークの前、針岡の佐藤孝一君から「友人の家に夢郷さんの絵があったそうで、軸を持ってきました。田植えが一段落したら写真を撮って送るよ」という話があり、それが1週間ほど前に届きました。その包みに『河北町立大川中学校新校舎落成記念式典』というDVDが同封されていたのです。

 夢郷さんの絵とDVDの持ち主は入り釜谷の高橋竹也さんという方で、最近タブレットを入手してオリオンを見たところ、夢郷さん話や絵があったので佐藤君に「わが家にも夢郷さんの絵があるよ」という話になったそうです。それで中学校校舎の落成式典のDVDも一緒に届けてくれたそうです。

 絵は一目でめでたい『高砂』と分かる絵で、雅号は「夢郷」ではなく少し前の時代の「凡鳥」とあります。なかなか緻密な絵で、管理人は寒風に咲く白梅が印象的でした。右の写真は佐藤家の床の間に掛けてみたもので、詳しい絵の様子は夢郷さんのgallery「夢郷さんの世界」(こちら)に収録させていただきますのでご覧ください。

 DVDはちょっとバタバタしていて今日(5/19)ようやく見たのですが、平成2(1990)年3月24日、つまり27年前の新校舎落成記念式典の模様です。
 懐かしいお顔やお名前、大川中学校賛歌の制定、生徒の合唱や演奏など、感動的な場面も数多くある貴重な動画なので、オリオンにも動画として収録させていただこうと思っています。
 ただ、パソコンが変わって使い慣れたソフトがないので、改めて勉強です。いずれなんとかなると思いますので、もうしばらくお待ちください。           (5/18)
 

■「模型復元プロジェクト」の清算明細ほか
 現地の模型復元プロジェクト実行委員会・中島さんから4月末に復興庁予算の清算が終了したとのことで明細が届きました。こちらにまとめてありますのでご覧ください。
 まだ計画が完了していないのは『つぶやき記録集』(仮)の刊行で、予算的には印刷代+紙代+製本代で30万円。
デザイン+入力など編集費用が20万円で、計50万円が予定されていますが、この刊行費用には皆様にご協力をお願いした寄付金が充てられる予定です。本の刊行は編集作業の都合上、8月のお盆のころになる予定で、この時期には失われた街復元プロジェクトで製作された復元模型の特別展示が予定されています。
 日時場所の詳細は未定ですが、たぶん場所はビックバンで、お盆を中心にした1週間か10日間ぐらいだろうと思います。この時期には『つぶやき記録集』(仮)も出来上がっていると思われ、ご寄付をいただいた方には完成次第発送させていただく予定です。

 管理人たちの大川中同期会が6月18日松島で開かれますが、翌19日に有志がマイクロバスで間垣→釜谷→長面→尾の崎をまわり、「はまなすカフェ」で昼食の予定です。
 遠くにいる人の中には、「震災後まだ帰ったことがない」という人もいるし、「田舎に帰るのはこれが生涯最後だな」という人もいてみんな楽しみにしています。
 模型プロジェクトへの寄付をいただいた方にも「模型ってどんなものなの?」「途中で参加しただけなので、完成品を見たい」という人もけっこういるので、今日(5/18)現地の中島さんと阿部さんに連絡して「19日のはまなすカフェで、一部でいいので完成した模型が見たいのですが」とお願いしてみました。
 なにしろ1ピースが1㎡の立体なので、運ぶのも設置するのも大変なのですが、阿部さんにも中島さんにも快諾いただき、「はまなすカフェ」では釜谷と長面の一部になると思いますが、完成した復元模型を見られることになりました。
 現地のみなさま、ほんとうにありがとうございます。
 今年のお盆には特別展示、そして3年後には大川小の管理棟では全景に接することが出来るというのも朗報です。これから何度田舎に帰れるか分からないですが、帰る張り合いが出来た感じです。      (5/18)

■大川小震災遺構整備の概要 管理棟に復元模型の展示も
 5月13日、石巻市の旧門脇、大川両小校舎の遺構保存を巡り、市の震災遺構整備方針を地元住民や卒業生らに示す説明会が開かれ、地元住民や遺族らの意向を踏まえたうえで、市は2019年度の整備完了を目指すそうです。 詳しい河北新報の記事がこちらにあります。
 また「大川地区模型復元プロジェクトのfacebookにも概要がありますのでご覧ください

 整備計画では遺構整備イメージが示されたようですが、「校舎を見たくない」という遺族らの心情にも配慮。震災伝承エリアと慰霊・鎮魂エリアを整備し、両エリアを植栽で仕切る。
 震災伝承エリアのうち、校舎は周辺に侵入防止柵を設け、沿道から見えないように工夫する。津波で横倒しになった渡り廊下や体育館跡、プール、屋外ステージは現状のまま保存する。
 釜谷地区と遺族会が校舎南側に設置した慰霊碑とモニュメントは、整備エリアの外へ移設する。
 慰霊・鎮魂エリアは広場や慰霊碑、花壇などを設け、整備エリア全体に桜を植栽する。
 校舎の北側に管理棟を建て、大川地区の街並みを復元した模型を展示したり、語り部が活動したりするスペースにする。
 などの方針が盛り込まれています。

 また、模型復元プロジェクトのfacebookには
「事務局としては、当面今年8月に展示会を開く方向で準備していますが、こうした恒久的な施設が完成するまでの間、どのような形で模型を見ていただけるか、地域の方々と話しながら検討していきたいと考えています」とありました。皆さまも引き続きよろしくお願いいたします。          (5/14)

■KK(近藤孝悦)さんの壁掛けと41年前のエッセー
 3月の模型復元のWSで久々にお会いした近藤さんからいろいろな資料をお預かりしましたが、ようやく近藤さん自作の壁飾りと41年前に書かれたという追波川にまつわるエッセーを収録することが出来ました。
 脳力と体力の劣化で物事の処理スピードが落ちているのと、今年も4月末から長野の方に移動してあれやこれややることが溜まっていて、私の中ではテンヤワンヤの日々を過ごしていました。近藤さん、遅くなってすみません。
 近藤さんの壁掛けはこちら
 追波川のエッセーはこちら をご覧ください。
 お便りには「三反走の仮設の前は田植えが始まりました」とありましたが、故郷はもう田植えシーズンなのですね。そういえば針岡のKS君との数日前の電話では、「しろかきが終わったところだ。田植えは連休後半ぐらいかな」とのことでした。今年はお米は3町歩ちょっと。大豆が5町歩ぐらいと言ってましたが、ともかく体に気をつけながらあまり頑張らずにやってほしいと思います。
 「機械がやるんだから大丈夫だ」と言うけれど、操作する人も休養とメンテナンスを十分にお願いします。釜谷から長面にかけての広大な耕地は「リスタ大川」の力に頼ることになるのだと思いますが、ふるさとの皆様、どうぞよろしくお願いいたします。          (5/2)

■3月の模型復元WSの参加報告 ~鈴木惟司さんのお便りです~
 ふるさとの復興を願い、多くの皆さまより頂いた心あたたまる「寄付金」がどのような「かたち」でいかされるだろうか等を胸に25年ぶりの一人旅でした。

   
   
 
左上=会場に設置された「竜宮城」
  「釜谷の住宅地図」、「自然薯」など。
 右上=SWの直前に完成した「竜宮城」
 左下=仮設のご兄弟宅にセットされた
  「竜宮城」と雄勝の「硯工芸」など

 年と共に運転がおっくうになりいつも電車でしたが、今回はどうしてもお会いしたい人たちがいっぱい居ましたので車にしました。
 4/15日昼頃ビッグバン着、長面カキ、チャンチャン焼き、ムール貝、おにぎりを頂き、ごちそうさまでした。大槻幹夫会長、事務局の中島さん、岩沢さん、遠藤さん、釜谷の阿部良介区長さんとも話をさせて頂きました。
 また、若い学生の皆さんがもくもくと熱心に模型作りをしている姿に感動しました。
 会長さんの許可を得て、直前に完成した樹齢約400年の欅に刻んだ般若心経(こちらもご覧ください)の造形セット「竜宮城」、お神楽の「絵馬」60年前頃の釜屋の「住宅地図」、「釜谷の自然薯」を会場の通路中央にセットして、「般若心経」をお唱えして「東日本大震災」でお亡くなりになった方のご供養をさせていただきました。
 会場では55年ぶりに釜谷の人たち15人、同級生で模型寄付をいただいた高橋和賀子ちゃんとも再開しました。

 16日は姉と50年ぶりのドライブでした。姉は56年前の「チリ津波地震」と今回の「東日本大震災」と二度被災してます。姉が震災前後にお世話になった方々10軒ぐらい、新居におちついた方、仮設の方、仮設の方は来年の暮頃までには新居ができると話してました。また、皆さんが夫婦仲が大変よく♡新婚さんの様♡、こちらが元気をもらいました。

 17日、針岡へ。同級生でおしどり夫婦だった今野成美、節子さん宅。節子さんの模型寄付のお礼を申し上げ、震災で亡くなられた成美君のご仏前で般若心経をお唱えさせていただきました。
 バタバタした4日間でしたが、満足、満足の心で帰ってきました。
 疲れた……でも又行きたい……です。

 鈴木さんが長年取り組んでこられた造形セット「竜宮城」について次の説明が添付されていました。
●竜宮城へのお参りの仕方
 大震災で亡くなられた方、行方不明になった方は、今どうしているだろう
 皆さんは今、竜宮城で乙姫様と共におります。乙姫様の別の名を観音様と言います。今皆さんは観音様のもとで何不自由なくなかよくゆっくりとおすごしです。
 竜宮城の前に正座し縦格子(悟りの窓)を開け合掌し、今お逢いしたい方を心の中で呼び出しますと、胸の中にスーと入ってこられ、〈今、観音様の元で何不自由なく皆さんとなかよく、ゆっくりすごしてるから安心してね……〉と言って又スーと悟りの窓の中へ帰って行きます。

 以上、鈴木さんからのお便りからです。 
     (4/16)

■大正時代の大川村の地図
 3月の模型復元WSの際、実行委員で復興協議会会長の大槻幹夫さんから、大川に関わる貴重な資料をいくつかお預かりしました。そのうちの一つ、『大正時代の大川村・橋浦村の地図』を「昔語り」(こちら)に収録しましたのでご覧ください。
 残念ながら大正何年の地図かはわかりませんが、横川103戸、大福地22?戸、小福地13戸、谷地9戸、国土4戸芦浜5戸など各集落の戸数などが詳しく記されています。
 原図は手書きのかなり大きな地図のようで、当サイトではかなり縮小を重ねているので、判読は難しいかもしれませんが、こちらには部分図も収めましたので、往時の大川村を想像してみてください。右は大川村・橋浦村全図   (4/14)

■大川地区「復元模型」その後あれこれ
●復元模型は震災遺構大川小の管理棟に常設展示されるようです
 現地からの便りによると、3月28日、大川小に関する震災遺構保存の整備案が示され、その中に
 「校舎北側には管理棟を備え、震災で被害を受けた大川地区の街並みを復元した模型を展示したり、語り部が活動したりするスペースとする」という方針が示されたということです。
 「大川小の近くに常設展示をしてほしい」というのは。私たち遠くにいる者が等しく願っていたことで、実現すればたいへん嬉しいことです。地元の方々も良かった良かったと喜んでおられるとのことでした。完成は平成31年ごろと言われますが、それまで長生きしてぜひ訪れたいとおもいます。

●国土夢想さんの間垣のジオラマ

 
国土夢想さんのジオラマ
 
桜植樹の皆さん
 
背景は針岡の山
 
植樹後の食事会

 国土夢想さんがコツコツ独力で製作を進めていた間垣地区のジオラマが、喪失集落全体の復元模型と時を同じくして完成しました。管理人が現地に行った時には遠藤さんの『まがき』に届いていたのですが、私がカメラをWS会場に忘れて行ったので、遠藤さんに写真を撮っていただき送っていただきました。
 緻密に、丹念に作られたジオラマで、田んぼの稲の様子などが見事ですね。WSのものと比べると旗などがないためか、スッキリしてきれいです。
 『まがき』では防災集団移転地に桜を植えるNPОの方々によって植樹が行われ、食事会もされたそうで、その写真も届きました。かつては中学校の裏山でしたが、風景もだいぶ変わりました。それにしても遠藤さんの写真はきれいで大したものですね。

●ご寄付をいただいた皆様へ
 「記憶の街」 復元模型プロジェクトin大川については多くのご支援・ご協力を賜りました。ご寄付については3月末現在54件、424,000円となっております。ご寄付をいただきました方には、完成写真を含めた冊子『つぶやき集』(想い出の旗や会場でのインタビューを収録した本)をお送りいたしますが、来場者数が2,000名を超え、つぶやき数もかなり多いので編集・製作に少し時間がかかりそうです。
 いまのところ刊行予定は6月中ごろですが、完成次第お送りいたします。ありがとうございました。  (3/31)

■長面・尾の崎のWSに参加してきました
 3/15~18、ビックバンで開催された「記憶の街」模型復元のWSに参加してきました。15日は実行委員の皆様のご厚意で、小川水産ほかご提供の焼き牡蠣パーティがあり、故郷の味覚を堪能しました。
 その後会場では、オリオンのギャラリーでもお馴染みの岩槻の鈴木惟司さん、尾の崎のKKさんこと近藤孝悦さん、それに大川地区復興協議会会長の大槻幹夫さんに久々にお会いしました。
 鈴木さんは数日前に完成したという般若心経の大きな造形や自作の釜屋の住宅地図をわざわざ岩槻から会場に持ち込まれ、自慢の大川音頭も披露されました。
 近藤さんからは最近の作品をご持参いただき、大槻さんからは大正時代の大川村の貴重な地図、それにこれも貴重な『ふるさとかほくの歴史』をいただきました。
 これらは近日中に改めてご紹介させていただきたいと思います。

 詳しく書くときりがないので、とりあえずこちらに簡単なご報告をさせていただきました。間垣・釜谷、長面・尾の崎の全景写真もありますので是非ご覧ください。
 管理人自身は、WSに参加したと言っても半分以上は親戚(姉兄)の表敬訪問、世話になっている友人の訪問などに費やしたので、お手伝いなどはほとんどしないで、会場を訪れる皆さんと雑談したり、思い出話にふけっていました。思いがけない親戚との再会や恩人のような方々にたくさん出会えて、夢のような時間でした。

 
長面の一部・松原海岸

 それぞれの家や思い出の地に建てられた旗の文言や思い出を語る「つぶやきシート」の取りまとめはこれからの作業になるとのことで、本になるのはもう少し先になるようです。
 
 もう一つの注目は『デジタルアーカイブス』で、これは首都大学東京の渡邉准教授が手掛けているもので、大川地区の歴史や思い出が重層的に閲覧できるものが開発されるそうです。これはいずれスマホでも閲覧できるようになるそうで、その完成が期待されます。
 それにしてもこのプロジェクトの推進力となった事務局「一般社団法人長面浦海人」の中島みゆきさんはじめ、地元の坂下隆さん、小川英樹さん、大槻幹夫さん、阿部良介さん、佐々木喜和夫さん、永沼悠斗さん、遠藤仁雄さん、それにはまなすカフェのスタッフほかのお母さんらの実行委員の方々、ボランティアでお手伝いいただいた多数の学生の皆さんのご努力に心からお礼を申し上げたいと思います。

 これまで、たまに故郷を訪れても、目印ひとつない場所に大きなモニュメントができたように感じました。皆様、ありがとうございました。        (3/21)
  

■震災前の釜屋~尾の崎の車載動画
 長面・尾の崎の模型復元ワークショップが始まっているということで、管理人も出席してみたいと、明日(3/14)出発の準備をしているところに、大川小学校ご遺族の只野英昭さんという方から
「震災前の大川の映像がYouTubeにありました」というお便りをいただきました。ざっと拝見しますと、震災前の
釜谷→谷地中→甚平閘門→北上川河口の松原海岸→松原荘→長面→長面浦→尾の崎がかなりていねいに車載カメラに収められていて、集落の雰囲気も良く伝わってきます。ムービーはこちらです。ぜひ、ご覧ください。
 只野さん、ありがとうございました。         (3/13)

■ワークショップ会場ではパネル展示も
 事務局の中島さんから、大川地区の歴史や松原海岸、長面浦漁業の変遷などのパネルを製作して展示しますという連絡がありました。
 「広い会場なので、このパネルをもとにゆっくり語り合っていただくことを主眼に置いています」とのことでした。河北町には町民文化祭というものがあったようですが、なにかその文化祭のような感じがあって楽しそうです。管理人も今回はぜひ行ってみたいと思っています。
 パルは3枚とのことですが、うち1枚の原案が右の写真です。ほかはこちらをご覧ください。当日の会場のレイアウト図もあります。
 また、11月に行われた間垣・釜谷のワークショップの模様が、3月10日のNHKのドキュメンタリー「クローズアップ東北」(お知らせはこちら)で放送されるそうです。東京では視聴できないのが残念ですが、視聴できる方は是非ご覧ください。    (3/7)
 
■「長面・尾の崎模型復元ワークショップ」3月12日から

 
 

 現地事務局から、3月の「長面・尾の崎模型復元ワークショップ」のチラシが届きました。
●3/12(日)~3/14(火)
 チラシにある通り「長面地区」は追波川河川仮設集会所、「尾の崎地区」は三反走仮設集会所の2か所に分かれて行われ、14日午後4時過ぎにはビックバンふれあい交流センターに移動して合体。
●3/15(水)~3/18(土)
 11月に制作された「間垣・釜谷地区」の模型も展示される中で、長面・尾の崎のワークショップが引き続き行われます。喪失集落の全体像が一カ所にすべて復元されるわけで、早く仕上がりが見たいものです。全部を合わせると横12m、縦8mになり、これまで各地で行われた模型復元の中でも最大級のものになるそうです。
●交流会
 3/15(水)12:00~ ビッグバンの駐車場で参加者や協力者皆さんの交流会「長面浦の牡蠣パーティ」が行われます。
●シンポジウム
 3/18(土)には、まだ詳細は未定ですが、地域の諸課題なども話し合うシンポジウムが予定されているそうです。遠方にいて何もできませんでしたが、管理人としてはこの復元模型が一過性のイベントに終わることなく、何らかの方法で常設展示が出来ないかなあと思っています。
●NHK「クローズアップ東北」で特集放映
 東北ローカルですが3月10日(金)「クローズアップ東北」(金曜 午後7時30分 再放送 土曜 午前10時55分)で約30分放映されるそうです。『まがき』のヒトボさんのところも取材が済んでいるようです。
 現地の皆さんにはほんとうにご苦労さまです。管理人は11月には参加できなかったのですが、3月の後半には参加させていただこうと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。    (2/19)

■「長面・尾の崎復元模型ワークショップ」の現況
 表記の詳細がfacebookにありますのでご覧ください。
  現地では、今度の日曜(2/12)午後6時から三反走仮設集会室で実行委員会が開かれ、各種具体的なことが決定されるようです。「今回のワークショップは「失われた街」シリーズの中でも最大級のワークショップになります。一人でも多くの方のお知恵やご協力をいただけますと大変ありがたいです。お手伝いいただける方はぜひ、12日にご参加ください」とのことでした。
 ちなみに制作範囲は左の図の通りで、赤線部分が東北工業大学の皆さん、黄線部分が神戸大学の皆さんによって白模型が制作されています。神戸大学では地形と家屋それぞれの模型がほぼ仕上がり、これから各パーツの配置や樹木の造作などに入るそうです。試験や論文など忙しい季節ですが、学生さんたちは3月に向けがんばってくれているそうです。
 学生さんらは3/10ごろには現地入りし、宿泊ほかは11月とおなじく『まがき』の遠藤さんがお世話することになり、会場の設営などは、現地の実行委員会の皆さんのお力で実施されるようです。ほんとうにご苦労さまですとともに、ありがとうございますと感謝!です。      (2/7)

■3月の「長面・尾の崎復元模型ワークショップ」
 昨年11月に、「失われた街復元模型ワークショップ」の第1回、「釜谷・間垣地区」の展示制作が行われましたが、3月に行われる「長面・尾の崎地区」の日程概要について、現地の実行委員のヒトボさんからお便りをいただきました。右写真は「間垣・釜谷」の制作風景
 それによりますと

・3/12(日)~3/14(火)の3日間は、次の2カ所に分かれて開催されるそうです。
 長面の模型展示作成=追波川仮設団地集会所
 尾の崎の模型展示作成=三反走仮設団地集会所
※かなり大きな模型になるためスペースの都合上と追波川団地は長面の方が多く、三反走は尾の崎の方が多いことを考慮したためとのことです。
・3/15(水)~3/18(土)はビッグバン(河北総合センター)で、釜屋・間垣を含んだ4集落の全ジオラマを展開して展示制作会が行われるということです。長面・尾の崎の方だけでなく、間垣・釜谷の制作会に行きそびれた方もぜひご参加くださいとのことでした。
 また、4集落すべての展示はかなり大きなインパクトのあるものになり、大勢の人やマスコミ等の来場があると思いますので、遠方から来られる方はビッグバンでの展示作成に参加されるのが良いのではないかとのことでした。

※実行委員のヒトボさん=「まかない処“まがき”」の遠藤仁雄さんで、11月の間垣・釜谷の制作会では延べ100人ほどの学生さんや先生の宿泊や食事ほか送迎などのお世話をいただきました。3月もいろいろご協力をいただくことになると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
 さらにまた、この「失われた街模型復元ワークショップ」が始まる前に、国土夢想さんのジオラマ製作の話がありましたが、その後、独力で孤軍奮闘、このたび間垣地区が完成したそうで、3月11日すぎにはヒトボさんの「まかない処“まがき”」に届くそうです。皆んなでワイワイガヤガヤ作ったものとは一味違った作品かと思います。機会がありましたら是非ご覧ください。制作過程など詳細は国土夢想さんのホームページの「ブログ」をご覧ください。                 (2/5)

■遅ればせながら「あけましておめでとうございます」
 いまさら新年の挨拶などおかしいですが、ぼんやりしているうちに2月になってしまいました。そんな“ぼんやり”を𠮟咤するように、FSさん(長面、国立市)から『塩田のあった村』という長文のレポートが届きました。
 大川村・長面にあった塩田の沿革や長面、尾の崎の家々に塩煮釜ができた事情などを、各種公的な資料を多数読み込んで構成されています。『はなし語りしすぺ』の「お茶飲んでがいん」に収録させていただきましたので、ご覧ください(こちら)。
 それともう一つ。同じFSさんから絵本が一冊届きました。開いてみるとタイトルは『なべになった鐘』という絵本で、文は堀込光子  絵は堀込 亘  堀込光子とありました。堀込さといえばあの『海に沈んだ故郷』を書かれた方で、絵本の物語は大津波直後から救助のヘリコプターが来るまでの3日間のことで、龍谷院の本堂にあった大きな鐘を鍋にしておかゆを炊いて飢えをしのいだ実話が描かれています。
 管理人も鐘でおかゆを炊いた話は聞いていましたが、この絵本を見て「そうか、玄米のお粥だったか」「湧き水を引くパイプは埋まっていたのか」など、なるほどと思わされることがたくさんありました。
 絵はご子息の亘氏と光子氏の合作のようですが、どのページも迫力のある絵が描かれています。
 自費出版のため全国の一般書店には置かれていないようですが、石巻市周辺の書店にはあるようです。
 詳しい内容やお求め方法は「なべになった鐘」で検索してみてください。
 facebookのこちらにも情報があります。                  (2/2)
 

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